子どもの「知りたい」につながる親の行動
保育園の帰り、南西の空に鋭く光る月を見ながら
「おつきさま、きょうはほっそいねー。
すごくちいさくみえるけど、ちかくにいったらおおきいんだよね!」
と、誰かに教えてもらったことを自慢気に話してくれた次女。
親「そうそう、月って大きいけど、
遠いから小さく見えるよね。
(遠近法の話もしたいけどまずは…)
なんでこんな細いんだろうねー?」
「しらなーい(興味なさそうに)」
親「太陽に照らされているところだけ見えてるんだよ」
「えー、なんで?おひさまはもういないよ」
親「みえないけれど、太陽はいるんだよ。
地球と月はいっしょに太陽のまわりをぐるぐるまわってて、しかもね…」
「ママー、きょうのごはんなーにー?」
あー!せっかくのチャンスだったのに、
6歳児の好奇心を引き出す切り口で話せなかった親の負けです。
もはや道路のひび割れを踏まないゲームに夢中の次女に、
その後も一方的に語り続けながら、
月と太陽と地球の関係を頭の中で整理しました。
でも何とも整理しきれない。
あれ、全然わかってないじゃないか、宇宙のこと、地球のこと。
まずは自分の好奇心を満たす
さっそく図書館で、
文字が少なく写真の多い、
簡単な言葉で構成される学童向けの宇宙の本を選びました。
読み始めてみると、
まぁ面白くて止まらない。
太陽。
地球に住む私たちにとって、
冬は少しでもその熱を感じられる日なたを探し、
夏は痛々しい光を浴びないように苦労する、
日々の生活に密着した絶対無二の存在。
その太陽が、
宇宙の世界では「燃えるガスのかたまり」で、
50億年後には消滅する予定、と平然と書いてある。
月も同様に、
今は地球の引力でそこにいるけれど、
月の近くを大きな天体が通り抜けたら、
地球から見えなくなるかもしれない。
地球に生物が生きていられることも
永久保証されているわけではないのだ、という
どこかで聞いたことのあるフレーズを、
40代半ばでリアルに痛感しました。
生きていることはありがたい・・・
そして子どもたちに自慢気に話した
図書館の帰り道、
感動冷めやらぬうちに
太陽と月と地球の神秘を子どもたちに話しました。
親「知ってる?太陽って空のたくさんの星と同じ恒星なんだって」
長女「え、そうだよ。ママしらなかったの?」
・・・呆れられました。
長女は学童保育に通うようになってから本を読む習慣ができて、
既に私なんかよりいろんなことを知っている気がするのですが、
このところは図書館で借りるのもマンガ中心に。
これ面白そうだよー、と小学校低学年レベルの本をすすめても、
チラッと開いて終わっちゃうことが多くなりました。
その後も親は、さっき得た知識を意気揚々と語ったものの、
途中でまたあれ?なんだっけ?わかんないや、となり、
ごめん借りてきた本もう1回読むわー
と情けなく途中終了。
宇宙本を開いて熱心に読む長女
帰宅すると、
私が借りてきたその宇宙本を開き、
熱心に読む長女の姿がありました。
おおおっ読んでる!と声を挙げそうになるのをこらえ、
静かに通過して心の中でガッツポーズです。
好奇心に火がつき、
途中切れした話の続きを待っていられなかったのでしょう。
そうか、これでいいのか、と思いました。
これ面白そうだよ、と勧められただけでは読まない。
それを「面白がる人」が近くにいたことで、
知りたいという欲が生まれたのだなと。
知りたい、見たいの行動欲は「好奇心」無くしては生まれない
学校の授業が基本的に面白くないのも、そういうことなのかもしれない。
もう100も理解している人(先生)から
「こういうものです」と一方的に降り注ぐ言葉は
眠気しか生まれませんでした。
「なぜ?どうして?」という興味を、
まず初めに持たせてくれる授業が良い授業なのですね。
一緒に疑問に感じて面白がってくれる先生の授業は、
そういえば楽しかったな。
…と、ぐるぐると昔を振り返っていたら、
とある調査に関する記事を思い出しました。
新旧ありとあらゆる映像コンテンツが身の回りに溢れる若者は、
見なければならないものが多すぎて時間が足りない。
コンテンツ選びに失敗したくない若者について調査した記事の中で、
参加者からは
作品の新旧より、「好き」が重要! 新メディア行動欲求とは?
「実際に旧作を見てもらうためには、さまざまな条件が必要だ。数十年前の番組をただ放映するだけでは、簡単には見てもらえない実感がある」
という意見も。
山本GMは、
「最近、20代の女性インフルエンサーが、1987年のある映画がめちゃくちゃ面白いと発信し、若者の間で話題になった。彼女いわく『メイクや着ている物のセンスが最高だ』、と。
つまり、どういう視点で過去の作品を面白がればいいのか、というガイドがあるのが大切なのではないか」と考察しました。
野田上席研究員も
「こういう見方をすると面白いよ、という説明があれば、視聴をするきっかけになる。例えば、『この時代は○○が流行っていた』と解説することで、このコンテンツを見ても失敗せずに楽しめそうだという期待が持てるのでは」と話しました。
メディア環境研究所
面白がるポイントを説明してあげることが視聴するきっかけになる、
失敗せずに楽しめそうだと期待が持てるのでは、とのことです。
「面白そう」とか「知りたい」という欲求を持つことが行動につながるということ。
勉強でも遊びでも、何でも同じですね。
人の行動欲求の源には、好奇心がある、と心底理解した出来事でした。
前に書いた記事、
「学びたいときが学びどき」
と通ずる部分があります。
好奇心がわけば、自然と学びたくなる。
意図せず好奇心をわかせることに成功した長女は、
自然と学ぶ行動に移りました。
たまたまそのとき手の届くところに本があった=学びに適した環境にあった、
というのもポイントではあったので、
好奇心を見逃さずに拾い、
環境を作っていくことが大事だなと実感したのです。
さて肝心の次女の方は……道路のひび割れ踏まないゲームにまだ夢中です。